2016年12月28日水曜日

さよならレイア姫

昨日(2016年12月27日)『スター・ウォーズ』のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーが心臓の病気で亡くなったというニュースがあった。60歳とは早い。ショックである。
今年は、R2-D2の中に入って演じていたケニー・ベイカーも亡くなった。1977年最初作の『スター・ウォーズ』出演陣がどんどん亡くなるのは寂しい。

ついこの間の12月16日、元上司ら3名と一緒に『ローグ・ワン(スター・ウォーズ・ストーリー)』を観てきた。初日だが沖縄の映画館はけっこう空いているので真ん中後方の良い席で観られた。
この同じメンバーで昨年12月にも『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を公開3日目に観た。
だからこのメンバーになると、必ず『スター・ウォーズ』論評が飛び交う。一致した意見は、やはり昔のエピソード4と5とが秀逸だということ。

問題となる不一致の意見は、ヒロインの評価である。他のみんなは「スター・ウォーズのヒロインは総じて魅力がない。辛うじてアミダラ女王はゆるせる」ということだが、私は「レイア姫もいいし、レイちゃんも、ジンちゃんもよかった」と好評価をもっている。「けっきょく、誰でもいいんでしょ?」と言われるオチになるわけだが、私はアミダラ議員があまり好みでない。
まぁ、いずれにせよ好みの問題である。
案外人気のないレイア姫だが、私にとって、彼女の雰囲気が『スター・ウォーズ』の大切な要素になっている。あのデス・スター設計図のデータをかがみ腰でR2-D2に仕込む時の、謎めいた幻想的な印象。ダーズ・ベイダーを前にムキになって強気発言をするツルツルお肌の表情。ジャバ・ザ・ハットに鎖で繋がれ・・・(おっと、もうやめておこう)。

2015年の『スター・ウォーズ フォースの覚醒』には、すでに皺くちゃのお爺さんお婆さんになってしまったハンソロとレイア(ハリソン・フォードとキャリー・フィッシャー)が頻繁に登場し、観客を沸かせると同時に失望させてくれた。
が、最新作のスピンオフ映画『ローグ・ワン』には、1977年のキャスト数名が当時そのままの顔立ちで登場する。若いレイア姫もラストに出てくる。CG処理(3Dレンダリングというデジタル技術)で人の表情まで再現できるようになったことを見せつけられた。これ見よがしだったが、まんまと驚いたし楽しめた。

なお、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は映画館で2度観たが、自分にとっても特大のインパクトを伴った娯楽だったのに、観終わるとスーッと面白さが減少するような印象が否めなかった。尻すぼみであり、詰めが甘すぎて、星はでかくてもストーリーが小さいと思った。突っ込みどころ満載なのだった。
今度の『ローグ・ワン』は、話自体はそもそも小規模なのだが、表現が細やかでリアリティある悲劇が再来し、とてもよかった。よかったのではあったが、インパクトは小さく、見終えて数時間もすると印象にあまり残っていなかった(同監督の『GODDILA』もそうだったから不思議である)。そういえば、今年めちゃくちゃ話題になったアニメ『君の名は。』も観ているときの幸福感に比べ、鑑賞後の印象は消えていくのが早かった。

それに比べると、1977年の『スター・ウォーズ』やその次の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』は、観てから30年近く経ってなおも胸に沁みついているのだから凄い。いや、数か月前に子供と観たら、たしかに(案外子供じみている映画なんだな)とは感じた。私も大人になったのだ。10歳の頃「金曜ロードショー」のビデオ録画でみた当時は、映画の範疇を超えるほど強烈なイメージに打たれたものだった。これぞ、幸福な映画体験というべきものであった。



この年末年始は、家内と子供たちだけ実家に帰省しているので、私は静かにじぶんのすべきことを進めたり、ひもじくも悠悠自適に暮らしている。そんな私が寂しくしていると気遣って、元上司2人(53歳と26歳)がマクドナルドで色々買い込んでうちにやってきたのは一昨日のことだった。
じつはその前の日つまりクリスマスにも、その元上司のお宅のクリスマス会に呼ばれて夜中1時過ぎまでワイワイしていたのである。「連日じゃないですか」と私も嬉しさまぎれに呆れた。

で、その日最後のTV出演となるSMAPの話題は1度も出たりせず、いろんな話をかわしたなかに凝りもせず『スター・ウォーズ』の話題がけっこうあった。われわれはSW新作にああだこうだ文句を言いつつも、それぞれの家にスター・ウォーズのグッズは着実に増えているのだから困ったものである。2つ3つといったレベルではない。

私はEP盤の『スター・ウォーズ』のレコードを掛けた。いつか骨董市で1枚300円で買ってきたものだ。曲は「スター・ウォーズのテーマ」「酒場のバンド」「ダース・ベイダーのマーチ」「ヨーダのテーマ」のみ。私は「酒場のバンド」が一番好きだ。よく口ずさむ。ルークとオビワンがモス・アイズリー宇宙港近くで入り、ハンソロとチューバッカが初登場した、ならず者ばかりが集まる酒場“カンティーナ”で演奏されていたBGMだ。愛嬌ある名曲だと思う。
音質に非常にこだわりある年上元上司は、「盤が曲がってる」「盤に水拭きした跡がある」「直に手で針を落とせないの?」「スピーカーが酷すぎだ」「モーターの動きが不均等だ」「そういう所に(盤を)置くなよ」とうるさく注意する。
年下元上司は、長男のBB-8ラジコンで遊びながら分解し、バラしたまま内部車輪の動きをチェックして面白がったりしていた。

さて、元上司2人が注目したのは、私が使っている「スター・ウォーズ」デザインコラボのCampus大学ノート。5冊組で、地味だがペン画などがかっこいい。
「いくらしたの?」
「家内から貰った物だから分かりませんけど、普通のノートの値段かと思いますけど」
「結構凝ってるから、版権高いはずだよ」
「そうでしょうか?」 私は普通に雑記・日記ノートとして使用している。

「ああ、そういえばレイア、飛行機の中で倒れたよねえ」と年上元上司。
「ヤフーニュースでみました。大丈夫ですかね」
「どうだろうなあ。しかしやっぱりハリソン・フォードと付き合ってたんだな」
「暴露本を出したって記事、読みましたよ。でも前から公表はしてたみたいですよ」
「そーなの? ハリソン・フォードもころころ相手変えるからなぁ」
ゴシップ記事をコピペしたようなこんな会話もたしかにあった。2日後にレイア姫が亡くなってしまうなんて、やはり我々は思っていなかったのである。

だって、2017年の『スター・ウォーズ(エピソード8)』は、レイアがいなければ困るではないか(→ある記事によると、どうやら次回作の撮影は完了しているとのことだった)。
ああ、3Dレンダリングでどうにでもなるのか? いやいやいや。

・・・寂しいかぎりだ。



0 件のコメント:

コメントを投稿