2016年9月17日土曜日

アニメ映画『君の名は。』

アニメ映画『君の名は。』が、8月26日封切り以降、異例の大ヒットを飛ばしている。(『君の名は。』公式サイト
20日間で500万人動員とか、このままだと100億円の興行収入があるとか、つまりジブリ宮崎アニメなき後の、次世代的な実力派アニメーション映画という位置づけなのだ。

40代半ばの新海誠監督のアニメ映画作品は、今回を含めて6作ある。
私は、9年前に韓国人のアニメオタク青年に薦められ、のちに『秒速5センチメートル』をDVDで観て以来、ちょうど半分観たことになるのだけれど、フォトショップなどのグラフィックソフトで描いた絵が非常にきれいでそれは印象的だった。

しかし映像が印象的であるいっぽうで、これまでの作品は映画としての要素が弱かった。エピソードの多くがどこか別のアニメや映画で知っているような感じが多いのである。と同時に、(この人の作品は、いつか凄いものになるのだろうな)とは思った。なにしろ、ほとんど一人で話も絵も編集もこなしてしまう驚くべき若き才人ということだった。そして、ストーリー展開はいつも一種奇妙でどこか完成度の低さが目についたものの、その奥には高い志が垣間見られたからだ。
今回の作品は、そのストーリーの完成度が克服され、世間をあっといわせたのだろうな、と想像した。

妻も、「〇〇さんが『君の名は。』観て感動しまくってもう1回観たいって、フェイスブックに書いてた」と話していた。
また、私がちょくちょくスター・ウォーズの裏情報記事を拝読しているブログ「作家集団Addictoe」というところでも、多くの映画が辛口で酷評されがちなのに、『君の名は。』は98点という高得点をつけていた。そこには、こうも書かれてあった。
「内容に触れずに、一言でその素晴らしさをまとめれば、“新しい”。」
これは観に行くしかないと思った。


映画館の時間割とじぶんの都合とが合わなかったので、子供に幼稚園を休ませ、より遠方にあるライカムイオンの映画館へ出向いた。
まず、私が1人で11:00~上映の『君の名は。』を観る。(妻は5才と0才の息子とランチ。)
13:05~は『ペット』という、おふざけ冒険CGアニメ(アメリカ映画)を5歳の息子に1人で観てもらう。
そして、13:45~の『君の名は。』を今度は妻が1人で観る。(私が0才を連れてランチ。のち、5才と合流)

5歳の子供が1人で映画を観られるのか! とよく驚かれるが、息子は映画館デビューは3歳の『プレーンズ』から、そして前回『ファインディング・ドリー』からは1人鑑賞をしている。(私の迎えが遅れたためにインフォメーション・センターに届けられ、あわや店内放送というところであった・・・)親の観たい映画と子供のみたい映画が違うわけだから・・・仕方がない。

ちなみに、何歳から1人で映画館に入れるのか?
映画館の人に訊けば、「3歳から可能です」という返答だった。
妻は、「なにそれ? 3歳に映画が一人観できるわけがないじゃないの!・・・3歳から映画館に入れる、ってことでしょう?」と私に苦笑した。
ちなみに、『ペット』というこの映画にはクマちゃんマークが付いていて、つまり3歳以下でも鑑賞可とのことだ。
ということは。私は妻に提案した。0才の息子を5才の息子に預けて2人で『ペット』を観させ、その間に、夫婦で『君の名は。』を観ましょうか、と。だが5才の息子は即「やだ」と言った(むろん冗談で言ったのですぞよ)。
とにかく息子は映画が好きだ。『スター・ウォーズ』はDVDで6作品を2度ずつ観ている。エピ7は映画館で観た。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作も、『ハリー・ポッター』シリーズも大方みた。5才なので5才なりの理解しかできていないだろうが、いろいろ観てはいる。もちろんジブリアニメは好きで、なかでも『紅の豚』はたぶん20回は観ており、さすがの私も怒ったことがある。


『君の名は。』
午前11時からの劇場は空いていた。(パンフレットは2日前に完売したとのことだった。)
午後に妻が観たときは、劇場は混雑していたという。

よかった。とてもよかった。いろいろよかった。
たしかに、いろいろ新しかった。テンポの取り方も、まとまりにくいはずのストーリーのニュアンスも。
前半はわりと軽めでポップな展開で、高校生の男女入れ替わりモノだった。エンターテインメントとして楽しめた。
特に気を引いたのは、カメラアングル。かなり凝っていた。
テンポも斬新だった。本編の出だしにこの映画の映画予告がくっつけてあるようなはじまり方は面白い。
後半は後半で、1200年に一度到来するという彗星を巡って、それが大災害をもたらす云々の展開はまた唸らされた。逃げのない描写と、表現しすぎない描写のバランス感覚が長けている。素晴らしい。

ただ、・・・絶賛とまではいかなかった。
ピュア・ラブストーリーである。私は38歳のオヤジだが、この作品は10代20代の青年向けだということもあるだろう。
終わった時、私も涙をぬぐったけれど、いつまでもいつまでも印象に残るインパクトとまでは至らない。
比較しても仕方がないが、数年前の『思い出のマーニー』は強烈に胸に残った(世間評価としては意見が割れたため、平均値は高くない。ちなみに安藤雅司氏が『思い出のマーニー』も『君の名は。』も、そして私の好きな『パプリカ』でも、作画監督を務めている。それぞれ全然違うテイストなのに・・・)

絵は美しかったが、これまでの新海作品と比べると、これみよがしな風景美・美彩色にせず、わざと抑えてあるので、びっくりするほど美しくは感じなかったのが、多少惜しい。

筋書きに関していえば、ふつうにスマホやLINEなどが多出するのは現代的で、これもある種の面白みがあった。
ただこうした急発達中の現代機器が駆使される割には、重要なところで使われなかったりする。
(これほど地図アプリを駆使できるのに、なぜ、足で現場に向かう前にグーグルアースで見てみないのだ?)
とか、
(Yahoo!知恵袋で世間に尋ねたりは、・・・やっぱり、しないのか)
とか。
登場人物にわざわざ余計な労力を使わせる。物語を成立させるためには、登場人物は苦難のプロセスを踏まねばならないのは分かるが、ふと気がつけば、そこが監督による御都合主義だったりする。

そして、新海作品にはまだ、他者の作品の影響が消化されずにそのまま表出されている部分が多い。ストーリーや描写が、どこかで観た記憶を呼び起こす。そこがひとつ、不満といえば不満だ。
朝、目が覚めると泣いている云々というセリフを聞けば、『世界の中心で、愛をさけぶ』をどうしたって想う。高校生の男女の体で心が入れ替わるとなれば、1982年の角川映画『転校生』の石段ごろごろシーンを想い出す(新海監督によれば平安期の古典『とりかへばや物語』を参考にしたとのことだ)。
天体物体墜落後の奇妙な再会となると『黄泉がえり』が。若者たちが専門機械で通信系を乗っ取る計画となると『サマー・ウォーズ』が。田舎の神社の夏祭りは『思い出のマーニー』、駅での再会シーンは『海がきこえる』。
美しい雲の見事な空は宮崎アニメ、高原を延々と行くのも宮崎アニメ、女の子が不自然なほど激しく地面を転がるシーンも宮崎アニメ。
――似ているだけならいいのだが、似ていすぎていてかぶるから余計な感情が湧くのである。

しかしそれでも、森の葉のざわめきは『となりのトトロ』よりも細かい描写だった。(まったくざわめきのない1カットが気になったが、細かい事!)
登場人物の人生模様をかなり深く掘り下げ、あるいは逆に説明省略があり、一筋縄にはいかない人生が上手く表されていた。
境内での特別な行事のシーンもよかった。都会と田舎それぞれの情景と人々、すばらしかった。とくに新宿に出たあたりはうっとりした。自然風景とはまた違う、社会文化や人間の美。
私のニガテな(若者のアニメの)急に簡略顔でツッコミ表情をする表現も、ギリギリ許容範囲だった。


『君の名は。』も、このように色々と非常に素晴らしいのだ。ほとんど文句なしに。
声優陣も、文句なし。違和感なし。
音楽、主題歌、とくに文句なし。

良い所を挙げればキリがない。
人物配置など、これまでになく素晴らしい。友人がいい。みな、とても素適な人物なのである。かと思えば、悪いヤツや嫌なヤツも何人か出てくるが、その時々しか出てこない、つまり悪い人間が何らかの制裁を受けるというのが普通一般の映画の展開だろうけれど、この映画ではそうではない。悪いヤツ・嫌なヤツは、逆方面からの本音を伝える役としてあるだけなのだ。こういうところにもセンスやリアリズムが煌めいている。

彗星が走る星空、衝突の衝撃。逃げのない表現がある。と同時に、宇宙の外からみた彗星のシーンはない。抑制が効いている。
抑制と、過剰な表現。上手い。
彗星の、美と酷の対比。静と激の対比。女と男、田舎と都会、昔と今。対比、対比、対比。対比の宝庫だ。

衝突のシーンの描写は、他のあまたあるアニメーションにも負けない迫力と効果的な時間枠での表現だった。どうしたって誰がみたって、これは3.11を描いている。東日本大震災への願いであり、多くの人の妄想であり、また反省でもある(昔の災害を伝えようとする人々と、受け取ろうとする現代の人々との難しさ。・・もどかしい)


とにかく、こんな風にたくさん微妙なニュアンスが込められた独特のアニメ映画が、世間に圧倒的に受け入れられているということ自体が、私には不思議だし嬉しい。
昔のつげ義春マンガが広く評価されていることを思って、嬉しくなったのと似ていた。

帰路では妻と、長々と感想を言い合った。私も妻も夜更かし型生活なので寝不足で調子が悪かったけれども、映画の感想を言い合えるのは、気付きが多くなって幸せなことだと感じた。
息子は『ペット』の話題をいくつか話していたが、両親は観ていないのでそれほど応対できない。息子は「こんどは『君の名は。』みたい・・・」と妻に言っていた。
キスシーンもないくらい清潔なストーリーだったのに、バストや股間については執拗な表現がつづいていた。性と生とのリアリティを追求しているのだ。笑いを取るためでもあろう。
・・・やはり5才には早いかもしれない。










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