2016年8月8日月曜日

天皇陛下の「お言葉」をきいて

昨日は子どもの友人家族とでビーチパーティーがあった。
雨ときどき曇りではあったが、有意義にすごせた。こういうレジャーや交流はわが家族は得意ではないので、重い腰を上げて提案に乗らねば、あっというまに子どもが大きくなってしまうだろう。つくづく友人とはありがたいものである。

ただ、先月その同じバーベキュー場でビーチパーティーをしていた男性が、トイレ前の広場で雷に直撃されて心肺停止になった事故ニュースがあったので、ちょいちょい気になった。雷の鳴るときもあったし、暗雲も雨もあったので、トイレに行くときは空が怖かった。


今朝、雷が2度鳴った。
ブログにも書いたとおり、先月はわがアパートにも雷が落ち、共同アンテナを壊していった。その2、3週間前には友人宅に直撃していろいろな家電を破壊した。今年はおかしい。こんな雷ばかりの年などあったろうか?

で、今朝の雷はななんと、わがアパートの向かいの電信柱に落ちたらしい。
家の半分の電気がつかなくなったが、やがてわーわーと近所の人が表に出てきて、停電だ、うちも停電だと口々に言うのが聞こえた。やがてわが家もすべて電気が切れた。

沖縄電力のお兄さんたちがやってきて電信柱に登って数十分後、電気は復旧した。もしかすると私が不動産屋の時間外受付に連絡したことで沖電が来たのかもしれなかった(行動派の区長さんがあとで「誰が電話したかな?」と不思議がっていた)。

 *

昨日のビーチパーティーの疲れがまだ残っており、今日は作業や家事がぼちぼちの運びだった。

しかし、「天皇陛下の(生前退位にまつわる)お言葉」のビデオメッセージが8月8日午後3時から放送されるということが数日前から喧伝されていたので、なかば楽しみにしてスーパーの買い物から戻り、国民の一人としてひとつ聞いてやろうじゃないか、などと軽口を言いながらテレビの前に座った。


10分ほどの天皇の言葉を聞いて、しばらく唸った。
(大した天皇だな)と思った。なかなか珍しいという意味でも興味深いビデオだった。

天皇陛下が「個人としての」思いを語るという。
ここでちょっとハッとする。
憲法上、国政にかんする私見を述べることが封じられている天皇だが、だからといって1人の人間として、一個人として、何も思わないはずがない。人間は個人として生き、(個人が統合されているかどうかはまた別の問題だが)考えながら生きている。
発言するべきは、発言しなければならない。

国民・国政・皇室を熟考して、現状を変えてよりよくしようという強い意志を述べた。国政に関わる権限がないことにあえて触れて、真意がまっすぐ伝わる表現方法をとっている。
いろいろな面で論理的で、誠実で真摯だった。

こんなにまっすぐ放たれたメッセージを聞いたら、しごく真っ当なこの意見に反対する国民はほとんどいないだろう。たとえば私の胸にはどこかに皇室制度反対の意思があるのだが、そんな私でも(なるほど、そのとおりになればいいのに)と賛同の気持ちが湧いた。

普段はどんなことを考えているのかよく見えないのが皇室の方々だが、こうまで明確に発言があれば、立場・仕事・思い・願い・配慮・方策、いずれをとっても熟慮が行き届いており、非常にちゃんとした人だと感じる。
天皇の「お言葉」に、べつに私は感動はしなかった。
しかし十分に感心はした。
やはり普通の人ではない。していることも、一般人にできることではない。

とくに、このように発言するリーダーシップには驚嘆した。

私の周囲を見渡すと、親にも祖先にも親戚にも、たぶん友人知人の親戚を見回しても、これだけ周囲全体や家族の将来をおもんばかれるような人はまずいない。
一般社会ではほとんどの場合、立場ある人々さえもが十分なリーダーシップに欠けている。
周囲や残される人々に対する十分な配慮や思いやりなど、まずほぼないと言っていい。見通し、方策、何もない。当然、発言もなければ行動もない。
多少の思いやり、多少の配慮、多少の保守思想、多少の希望。それが親戚関係とか友人関係、会社関係の良い面のすべてである。

自分の死後のことについては、「なるようになるでしょう」「あとは、残った人たちが好きにやればいい」という放任主義が大多数だ。
「こうこうしてくれ」と遺言に残す積極的な人もいるが、それらはほぼ自分中心での遺言だ。墓選びも、墓の管理任せもそうだろう。死んでなお自分自分。よくて一族への私利。それが世間一般なのである。

そして愛はというと、・・・金にのみ託される。――生命保険。遺産。・・・虚しいかぎりだ。

 *

NHKではニュースキャスターや専門家たちが解説をし感想を述べ、街頭で人々へのインタビューや被災地・記念館などで決められた人にインタビューがなされていた。
それを見て、私はちょっとだけ唖然とする。
多くの年配の人が、インタビュアーの質問に適切に答えられていない。
「天皇のお言葉をきいて、どう思いましたか?」と聞かれているのに、天皇に会った時の思い出などを長々と話しはじめる。国語能力に欠けている。街頭で若者にインタビューして返ってくる言葉の方が、よっぽどまともであった。
それと比べるのは可哀想だが、やはりテレビに出ている専門家は、おのおので的確な解説をする。

安倍首相も今回は、ちゃんと対応せざるをえないといった様子で、ある程度きちんとメディアに発言していた。
憲法改正を暗に反対するタイミングだとも言われる今回の「お言葉」だが、本当のところ私にわかるはずもない。が、そうだといいな、とも多少思う。
国民に寄り添い、国民に耳を傾け、祈りつづけた象徴天皇が、憲法改正・戦争法案賛成なハズもないのだから。

 *

・・・それにしても、「お気持ち」、「お言葉」、「〇〇さま」ほか、メディア上の最敬語は、どうにかならないのだろうか? 皇室にかんするニュースで使われる敬語は、私には奇妙に聞こえていつまでも感性に馴染まない。やもすれば冗談で言っているようにも聞こえる。
新聞もテレビもネットニュースも、おべんちゃらを振りまいているようで、日本語表現自体が媚びた感じがして嫌なくすぐったさに包まれる。
最敬語は、天皇や皇族に対して直接使えばいい言葉ではないのか?
第三者にそういう語り方をするから、おべっかを強制しているようで可笑しくなるのだ。

少なくとも、天皇ご自身の語りには、そういう奇妙な感じは全くない。
今日のはとくに、かなりの名スピーチだった。(天皇制保守の志が含まれていたとしても。)


↓毎日新聞より「お言葉」について
http://mainichi.jp/articles/20160808/k00/00e/040/297000c

↓毎日新聞より「お言葉」の海外反応
http://mainichi.jp/articles/20160809/k00/00m/030/068000c

↓Yahoo!ニュース(翌日)記事:「象徴天皇としての天皇」を体現―陛下の「完璧主義」と歩み
http://news.yahoo.co.jp/feature/283





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