2016年7月14日木曜日

衆議院選挙のボロボロ用紙

本土では九州でも関東でも大雨がひどいとのことだが、沖縄は晴空が猛暑を連れてきている。

最近の私の日常は人と話すことが多い日々で、刺激が多く勉強になる。
反面、フォーマルが苦手で営業向けの性格でない私には疲労が溜まるのだろう、まいにち妙に眠い。

日本や世界のニュースにはあいも変わらず嫌な内容が多い。
テロの多発はきっと歴史の流れとして必然に近いものがあるだろう。しかし国内の殺人事件や何かには、発生率に必然性はあるのだろうか?
ポケモンGOの海外大ヒットは、いろんな問題が付属するといっても、比較的面白いニュースだった。天皇の生前退位の意向についても、問題問題いう人はいるだろうが嫌なニュースではない。

参議院選挙。
当日、「やっぱり、行きましょうか」と妻に声をかけて投票ハガキがどこにあるか尋ねた。
「玄関の棚の上にあったけど」というのだが、ない。「見当たらないけど・・・」と私はいいながら、やがて思い出した。
今回の選挙、あまりにも与野党とも魅力に欠けるため、私は早々にハガキを捨ててしまったのであった。基本、選挙には行く私が、だ。
ベランダに出してある紙ゴミのダンボールを漁ると、数日前に台湾方面に逸れた台風1号の雨でぐっしょり濡れた投票券が2枚出てきた。これを持って車で市役所に行ったのだが、いざ到着してみると、「あなたの投票所は近所の小学校です」と面倒なことを告げられてしまった。
この時点で妻は、「投票、いかなきゃダメなの~?」と舌足らずな女の子のように渋った。
「行くんだよ」と野太い声で私は言った。

小学校の体育館の半分が投票所となっていた。がらんとして静かだった。
住民リストに投票券との割印を押す係員に、住民リストを覗き込んで私が「投票率低そうですね・・・」と声をかけると、係員2名は言葉を発さずに苦笑した。
8ヶ月の子を抱きかかえながら議員候補者名を書き、5歳の子どもに投函させる。
係員が次の短冊を出してくれる。そういえば、七夕は5日前だった。
8ヶ月の子を揺すりかかえながら政党名を書き、5歳の子どもに投函させる。
書き入れるとき、小声で「どこに入れる?」と妻に訊いたら、私と違う政党だった。

子どもが、飴玉を貰ったといって駆け寄ってきた。
投票所の係員の一人が区長さんで、横並びの監視席から、満面の笑顔で手を振ってくれていた。人気の少ない静かな投票所に、われわれの世間話が響いた。場の雰囲気を気にして、互いに早めに話を切り上げた。
飴玉を握りしめて投票所スペースの向こうを全速力で疾走していたわが子を私は叱って呼びつけ、われわれ小家族は投票所を出た。
帰りに話したら、妻のいう政党に私は入れたのに、妻は私が言った政党に入れたという。「結局、票が割れちゃったよ」と二人で苦笑した。じつに、しょうもない選挙であった。

夜は着々と開票が行なわれ、テレビはそれに湧いていた。投票率はすこぶる低く、安倍総理大臣高笑いの自民圧勝に落ち着いた。逆に沖縄県からは、参院とも自民党の議席はなくなった。
私はべつに政治に期待なんてしていないので、特にどういというコメントはない。
先日、久しぶりに司馬遼太郎の講演CDを聞いたら、ちょうどそんな話を挟んでいた。こんな感じの内容だった。

「われわれ日本人は、みなさんそうでしょうけれど、政治に期待なんかしてないでしょ? 政治が世の中をどうこうしてくれるなんて、ほとんどの方、思っていないでしょう? その通りなんです。日本文化の礎のほとんどは室町時代にできましたが、将軍足利義政は飢餓が酷かった時に銀閣寺なんか造ってました。一方、じつは室町時代というのは日本史上最高の農業生産率を叩き出したけれど、政治権力主導ではなくて、農民が自ら工夫して成し遂げたんです。文化も農業も、政治なんか大して役立たないんですね」

デフォルメはあるだろうが、歴史小説の文豪が語るにしては面白い政治観であった。

いや、政治はいろいろ世の中を決めてしまう面もあるのだから、無視できないし無関係でいられない。それは分かっている。
けれど、世の中をどうしてほしいと政治に期待しても、十中八九はうまくはいくまい。われわれ日本人の大半は、白けるのは得意でも、自分のリーダーさえまともに立てられない始末なのだ。
であれば、カネと武力を謳う連中が、物的生活の豊かさと自分の安定だけ考える人間の多くを惹きつけるのは、ごく自然な流れでもあろう。

つまり有意味な選挙なんてそもそも、そんなにないわけだ。
そして、「民主主義」元来の汚れがまだ落ちきっていないことも、多分その一因なのである。だから「帝国主義」へと世の中は向かうのだが、それでよいはずもないのだからどうしようもない。いちばん明るい話題はどうしたってポケモンGO、みたいなことになっちゃうのだ。




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