2016年1月22日金曜日

『思い出のマーニー』 2015年にみたベスト映画

一週間前、アニメ映画『思い出のマーニー』が小さなニュースになった。アメリカで次々と映画賞にノミネートされ始めたからである。
2014年の公開作品が今頃ニュースになっているのは、海外での公開は2015年だったからだ。

→『思い出のマーニー』、「アニー賞」に続き「アカデミー賞」でもノミネート

この作品、日本での興行成績は35億円。普通に考えたら成功だが、ジブリ作品としては当たりとはいえない。ヤフーレビューは3.8点でぱっとせず、評判も大してよくもない。
私の周囲でもほとんど観た人がほとんどおらず、あまり話題に上らなかった。私もあまり興味を持っていなかった。

ところが。
何となくレンタル屋から借りてきたDVDを夜中に観て・・・私は唖然とした。
図らずも、いくども涙してしまったのである。
私にとって、久しぶりの名作だった。完全に意表をつかれたかたちだ。なんという傑作アニメーションだろうか、と呆然とした。

あの『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』もさることながら、『ゼロ・グラビティ』『GODDILA』『ジュラシック・ワールド』などの傑作・大作・話題作を昨2015年にはみたけれど、『思い出のマーニー』は、それらを差し置いて、私の心にもっとも強烈な好印象を残してくれた作品だった。
ついつい、DVDまで購入した。ふだんDVDなど買わないのに、わざわざアメリカから逆輸入してまで手に入れたのは、英語・フランス語バージョンも観てみたかったためである。

→「思い出のマーニー」劇場予告編


私はスタジオジブリのファンではない。が、『紅の豚』以降大方のジブリ作品を公開初日に観てきた。公開が近づくとソワソワ感に苛まれるのが、私にとってのジブリ作品だ(ただし、2013年『風立ちぬ』だけは最悪最低の印象が残っている)。

この『思い出のマーニー』は、巨匠・宮崎駿監督ではなく、若手の米林宏昌監督の手によって作られた。原作は1960年代にイギリスでヒットした青少年文学作品「When Marnie Was There」とのこと。アニメーションでは舞台を北海道道東に置き換えてある。
美しい湿地帯の風景、悲しくも愛らしい二人の少女、心の痛み、情感ある建物、海、雲、森、陽の光、風・・・・・・
話の構成はわりとシンプルなのに、テンポもいいし、非常に絵が美しい。物語の謎と不気味さが美しい景色とあいまって、わくわくさせてくれる。
(いや、観ていない方は、こうした雑多な前情報を入れずに、ただただまず観てもらいたい。純粋な映画は、観るほうも純粋な状態でのぞんだほうがよい。)

だが本作、日本国内では、日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞ひとつしか、受賞しなかったらしい。
やはり「いい作品」ながら、広く一般受けする作品ではなかったということだろう。
しかしそもそも芸術作品というのは、万人や群衆のためにあるのではない。
結局のところどんな作品も、必ずや個々人の心や頭脳に働きかけるもの。そういった意味で、あらゆる作品には、絶対的な価値も評価もない。

とはいえ、作品にはレベルのよしあしがある。レベルの高いものは、ある感性には熱烈に受け入れられる。

そこで興味本位でおもむろにネットで色々調べてみると、やはり多くの人が評価している。他方、全然共感せずに酷評しているレビューも一定量ある。
では、海外での評判はどうなのか。Youtubeには、コアな映画ファンが何分間も感想を話す動画がアップされていた。アメリカ人の動画の中でも、比較的はやい時期に、熱烈かつ的を射たレビューが出た。こちらの2つをリンクしておきたい。

→「When Marnie Was There」 レビュー/ Chris Stuckmann氏

→「When Marnie Was There」 レビュー/Jay Vaters氏

「ずーっとこのまま観てたい、って思ったよ」という感想は、私もまさに見ながら感じたし、私の妻も同じ言葉を口にした。だから、外国人も同じことを思うのだなぁと嬉しかったけれど、逆に、日本人でそう感じない人が多いのだから、やはり作品は、個々人が評価するものなのだ・・・

次の動画は、アメリカの映画人のタマゴ2人が感想を述べあっている。低評価と高評価との対立が平行線を辿る。

→「When Marnie Was There」 レビュー/ Le氏 & Dixon氏

『思い出のマーニー』の評価の分かれ方が、日本人とまるっきり同じである点が面白い。やはり国籍や文化の違いではないのである。



ところで、私は「評論」とか「批評」というジャンルの文章をあまり信用していない。

まず、日本における「批評」分野を造ったといわれる小林秀雄が、好きになれない。
小林秀雄は、かつて日本を代表する知識人であり、デカルトについても詳しいから、デカルト好きの私なら小林秀雄が好きでもおかしくはないのだが、私が読むと、小林の文章は「それっぽい」のに「胡散臭い」のである。

そして、小林秀雄のつくったその流れの延長線上にある日本の批評ジャンルは、やはりイイカゲンな文章に満ちている。
プロの評論家の文章でも、もやもやすることが実に多い。

たとえば。
ジブリの月間小冊子『熱風』に、以前、『思い出のマーニー』特集が組まれた。
『熱風』は歯に衣着せぬ読み物なので、宣伝的な特集にも関わらず、賛否両論の批評が寄せられていた。正直な文章で、しかも批評家や映画人といったプロたちが書いたものなら、当然おもしろいはずだ。が、――これがまったく面白くなかったのだ。

批評家の何人かは、ディズニーの『アナと雪の女王』と同様「ガール・ミーツ・ガール」の話である云々と論じ、悦に入っていた。ばかばかしい。女の子が2人出てくるというだけじゃないか。
あの岩井俊二監督でさえも、枝葉末節についての鈍い感想しか書けていなかった。
唯一、『思い出のマーニー』で音楽を担当した村松崇継氏が、面白く読める文章を書いていたが、・・・
特集でこれだけの内容しか出てこないことに、私はがっかりというよりも、驚いた。素人の私のほうが、深い内容を書けそうだとさえ思った。

それと比べると、Youtube上の『思い出のマーニー』の評論には、まっとうなものがあって聴けた。

→宇多丸「思い出のマーニー」レビュー

感じる人にだけ届く、それがこの作品なのだから、もちろんそれで十分。
なのだけれど・・・米国でアニー賞やアカデミー賞の受賞なるかどうか、気になってしまう。やはり日本人は自国の類稀な優秀作品を十分に自己評価する能力に欠けることが今回もあかるみに出てしまうのか否か。結果をみたい。

ついでにいえば、ジブリの『思い出のマーニー』の宣伝はいつになく、よくなかった。
キャッチコピー「あなたのことが大すき。」・・・う~む、、どういう映画なのか、ピンとこない。第2弾のキャッチコピー「ジブリの涙。」・・・これは酷い。涙は観客の主観に委ねるべきもので、制作側から断言されるべきものではない。付属のコピー「あの入江で、わたしはあなたを待っている。永久に――」もインパクトが弱い。
ポスターの絵は2種類。1枚目はマーニーが後ろ手にこちらをみているラフスケッチだが、これが美しくなかった。マイナス効果だろう。
2枚目は2人の主人公が浅瀬に立ち背中を寄せ合っていて、これは魅力的なポスターだった。ただし、本編にこういうシーンはないし、北海道の海というよりも沖縄の海辺に見えたわけだが・・・


まあどうあれ、『思い出のマーニー』は、ひとことで評論家風にいうならば、「許容」が主テーマの物語である。受け入れるべきものを受け入れていないことが私(私たち)の生活には、たしかに多すぎる。

素人の私が、批判ばかりでは能がないので、意味もないことだがキャッチコピーを考えてみた。
「あなたのすべてを受け入れたい。 秘密も、謎も。 永久に――」




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