2016年1月26日火曜日

「琉球ガラスの日」を考える!

もし、「琉球ガラスの日」というものがあったなら、ということを2年ほど前から度々考えている。
2016年1月現在において、そういう日の設定は見当たらない。調べて出てこないから、多分ないのであろう。

さて、何のために「琉球ガラスの日」を設けようと思うのかというと、さほどの理由はない。
よく「月△日は、◯◯の日」というアイキャッチを見かけるが、それは、「その日に◯◯について想いを馳せよう」とか、「ちらっとでも思い出してみてください」ということが多い。
イベントも起こしやすい。
だから、琉球ガラス分野でも「琉球ガラスの日」を設定しておくのもよいのではないかと思うのだ。

たとえば。
先日は、私の住んでいる沖縄県糸満市の日があった。1月10日だった。
なぜ1月10日かというと、1(イ)月10(ト)日、ということである。
単なるダジャレなのだ。
しかも「マン」はどこかいってしまったが、不完全でも気にしない。

で、その「糸満の日」に具体的には何が催されたのかといえば、(今年は日曜にあたったので、その前日)糸満市内の学校・幼稚園・保育園が開放され、見学・応援ができるとのことだった。

せっかくなので、私は妻と子供を連れて近所の小中学校と幼稚園を見学しに行ってみた。
「お子さんが通学されてるんですか?」
と何度か尋ねられた。
べつに我々の子どもは通学していない。
我々は、「糸満の日」だから来たのである。

家内は、
「授業参観日、ってことなんじゃないの?」
と、我々一家だけ勘違いして来ている心配をしていたが、糸満市のチラシを見るとそういうわけでもなさそうなのだ。
「見学に来てください。そして、子供たちを励ましてあげてください」
というのが、市のコンセプトである。
私は、あえていうならば、反抗期の5歳の長男に「学校とはどういうところか」を見せてやりたかったという思いはあったが・・・

さて、話題を戻そう。
ダジャレでも瓢箪から駒で、上記の通り1月10日はちゃんと「糸満の日」として機能していた。
調べてみると、その調子で色々と「の日」はある。
予想どおりというべきか、7月8日は「那覇の日」だった。
7月5日は「名護の日」だ。
どちらもダジャレ路線で、「想いを馳せてもらう」のがテーマである。

では、「琉球ガラスの日」があるとすれば、何月何日になるだろう?

まずは、ダジャレでない方向で考えて「琉球ガラスができた日」というのはあるのだろうか?
そういう日は、・・・ずばり言って、ない。

1960年前後、牧港硝子工場に近所の米軍基地から洋風ガラス製品のオーダーがあり、琉球ガラスのスタイルの原形がやがて確立する。しかし、年月日などもちろん不明であり、そんなものがあったら逆におかしい。

その牧港硝子は、戦前のガラス工業をひきつぐ奥原硝子製造所から職人や技術が分派して設立された。その奥原硝子は、沖縄ガラス工業所というところが経営形態を変えてできた会社だ。
沖縄ガラス工業所は、十・十空襲で焼けた前田硝子工場の再開した工場である。
その前田硝子は、戦前沖縄にできたり消えたりしたと考えられる4つのガラス工場の1つである。

つまり、このように琉球ガラスやそれ以前の沖縄のガラス産業を担ってきた工場には、それぞれに設立年月日や操業開始の年月日があるであろう。
が、それらの日付さえも、なかなかはっきりしない。

沖縄で最初のガラス工場は、1909年(明治42年)の沖縄硝子製造所であるが、10月の設立というところまで分かるが日付は不明である。その親会社は2月の設立だ。
そしてそもそもの話、明治末期のスタイルはいわゆる「琉球ガラス」ではない。日本本土と同じ実用のガラス製品を作っていたし、経営者も職人も内地の人間だった。


ということは、「琉球ガラスの日」を考えるには、やはりダジャレ路線で行くべきか。

琉球ガラス・・・
リュウキュウガラス・・・
リュウ9ガラス・・・

・・・難しい。ダジャレが、あてにくい。

しかし、私は思い至った。

Ryukyu(リューキュウ)・Glass。
ジューキュウ・グラス。
ジューキュウ・クガツ。
19・9月。

「9月19日は、琉球ガラスの日」

で、・・・・・・よいのではなかろうか!?

(みなさまはどう思われますか? ご意見賜りたく存じます・・・)

ちなみにの話、2016年の9月19日は9月第3月曜日にあたるため、たまたま「敬老の日」と重なります。
オジィとオバァに感謝を込めて、琉球ガラスを贈ってはいかがでしょうか?
という感じでいかがでしょうか。


 (Website Memoページより転載)

2016年1月22日金曜日

『思い出のマーニー』 2015年にみたベスト映画

一週間前、アニメ映画『思い出のマーニー』が小さなニュースになった。アメリカで次々と映画賞にノミネートされ始めたからである。
2014年の公開作品が今頃ニュースになっているのは、海外での公開は2015年だったからだ。

→『思い出のマーニー』、「アニー賞」に続き「アカデミー賞」でもノミネート

この作品、日本での興行成績は35億円。普通に考えたら成功だが、ジブリ作品としては当たりとはいえない。ヤフーレビューは3.8点でぱっとせず、評判も大してよくもない。
私の周囲でもほとんど観た人がほとんどおらず、あまり話題に上らなかった。私もあまり興味を持っていなかった。

ところが。
何となくレンタル屋から借りてきたDVDを夜中に観て・・・私は唖然とした。
図らずも、いくども涙してしまったのである。
私にとって、久しぶりの名作だった。完全に意表をつかれたかたちだ。なんという傑作アニメーションだろうか、と呆然とした。

あの『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』もさることながら、『ゼロ・グラビティ』『GODDILA』『ジュラシック・ワールド』などの傑作・大作・話題作を昨2015年にはみたけれど、『思い出のマーニー』は、それらを差し置いて、私の心にもっとも強烈な好印象を残してくれた作品だった。
ついつい、DVDまで購入した。ふだんDVDなど買わないのに、わざわざアメリカから逆輸入してまで手に入れたのは、英語・フランス語バージョンも観てみたかったためである。

→「思い出のマーニー」劇場予告編


私はスタジオジブリのファンではない。が、『紅の豚』以降大方のジブリ作品を公開初日に観てきた。公開が近づくとソワソワ感に苛まれるのが、私にとってのジブリ作品だ(ただし、2013年『風立ちぬ』だけは最悪最低の印象が残っている)。

この『思い出のマーニー』は、巨匠・宮崎駿監督ではなく、若手の米林宏昌監督の手によって作られた。原作は1960年代にイギリスでヒットした青少年文学作品「When Marnie Was There」とのこと。アニメーションでは舞台を北海道道東に置き換えてある。
美しい湿地帯の風景、悲しくも愛らしい二人の少女、心の痛み、情感ある建物、海、雲、森、陽の光、風・・・・・・
話の構成はわりとシンプルなのに、テンポもいいし、非常に絵が美しい。物語の謎と不気味さが美しい景色とあいまって、わくわくさせてくれる。
(いや、観ていない方は、こうした雑多な前情報を入れずに、ただただまず観てもらいたい。純粋な映画は、観るほうも純粋な状態でのぞんだほうがよい。)

だが本作、日本国内では、日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞ひとつしか、受賞しなかったらしい。
やはり「いい作品」ながら、広く一般受けする作品ではなかったということだろう。
しかしそもそも芸術作品というのは、万人や群衆のためにあるのではない。
結局のところどんな作品も、必ずや個々人の心や頭脳に働きかけるもの。そういった意味で、あらゆる作品には、絶対的な価値も評価もない。

とはいえ、作品にはレベルのよしあしがある。レベルの高いものは、ある感性には熱烈に受け入れられる。

そこで興味本位でおもむろにネットで色々調べてみると、やはり多くの人が評価している。他方、全然共感せずに酷評しているレビューも一定量ある。
では、海外での評判はどうなのか。Youtubeには、コアな映画ファンが何分間も感想を話す動画がアップされていた。アメリカ人の動画の中でも、比較的はやい時期に、熱烈かつ的を射たレビューが出た。こちらの2つをリンクしておきたい。

→「When Marnie Was There」 レビュー/ Chris Stuckmann氏

→「When Marnie Was There」 レビュー/Jay Vaters氏

「ずーっとこのまま観てたい、って思ったよ」という感想は、私もまさに見ながら感じたし、私の妻も同じ言葉を口にした。だから、外国人も同じことを思うのだなぁと嬉しかったけれど、逆に、日本人でそう感じない人が多いのだから、やはり作品は、個々人が評価するものなのだ・・・

次の動画は、アメリカの映画人のタマゴ2人が感想を述べあっている。低評価と高評価との対立が平行線を辿る。

→「When Marnie Was There」 レビュー/ Le氏 & Dixon氏

『思い出のマーニー』の評価の分かれ方が、日本人とまるっきり同じである点が面白い。やはり国籍や文化の違いではないのである。



ところで、私は「評論」とか「批評」というジャンルの文章をあまり信用していない。

まず、日本における「批評」分野を造ったといわれる小林秀雄が、好きになれない。
小林秀雄は、かつて日本を代表する知識人であり、デカルトについても詳しいから、デカルト好きの私なら小林秀雄が好きでもおかしくはないのだが、私が読むと、小林の文章は「それっぽい」のに「胡散臭い」のである。

そして、小林秀雄のつくったその流れの延長線上にある日本の批評ジャンルは、やはりイイカゲンな文章に満ちている。
プロの評論家の文章でも、もやもやすることが実に多い。

たとえば。
ジブリの月間小冊子『熱風』に、以前、『思い出のマーニー』特集が組まれた。
『熱風』は歯に衣着せぬ読み物なので、宣伝的な特集にも関わらず、賛否両論の批評が寄せられていた。正直な文章で、しかも批評家や映画人といったプロたちが書いたものなら、当然おもしろいはずだ。が、――これがまったく面白くなかったのだ。

批評家の何人かは、ディズニーの『アナと雪の女王』と同様「ガール・ミーツ・ガール」の話である云々と論じ、悦に入っていた。ばかばかしい。女の子が2人出てくるというだけじゃないか。
あの岩井俊二監督でさえも、枝葉末節についての鈍い感想しか書けていなかった。
唯一、『思い出のマーニー』で音楽を担当した村松崇継氏が、面白く読める文章を書いていたが、・・・
特集でこれだけの内容しか出てこないことに、私はがっかりというよりも、驚いた。素人の私のほうが、深い内容を書けそうだとさえ思った。

それと比べると、Youtube上の『思い出のマーニー』の評論には、まっとうなものがあって聴けた。

→宇多丸「思い出のマーニー」レビュー

感じる人にだけ届く、それがこの作品なのだから、もちろんそれで十分。
なのだけれど・・・米国でアニー賞やアカデミー賞の受賞なるかどうか、気になってしまう。やはり日本人は自国の類稀な優秀作品を十分に自己評価する能力に欠けることが今回もあかるみに出てしまうのか否か。結果をみたい。

ついでにいえば、ジブリの『思い出のマーニー』の宣伝はいつになく、よくなかった。
キャッチコピー「あなたのことが大すき。」・・・う~む、、どういう映画なのか、ピンとこない。第2弾のキャッチコピー「ジブリの涙。」・・・これは酷い。涙は観客の主観に委ねるべきもので、制作側から断言されるべきものではない。付属のコピー「あの入江で、わたしはあなたを待っている。永久に――」もインパクトが弱い。
ポスターの絵は2種類。1枚目はマーニーが後ろ手にこちらをみているラフスケッチだが、これが美しくなかった。マイナス効果だろう。
2枚目は2人の主人公が浅瀬に立ち背中を寄せ合っていて、これは魅力的なポスターだった。ただし、本編にこういうシーンはないし、北海道の海というよりも沖縄の海辺に見えたわけだが・・・


まあどうあれ、『思い出のマーニー』は、ひとことで評論家風にいうならば、「許容」が主テーマの物語である。受け入れるべきものを受け入れていないことが私(私たち)の生活には、たしかに多すぎる。

素人の私が、批判ばかりでは能がないので、意味もないことだがキャッチコピーを考えてみた。
「あなたのすべてを受け入れたい。 秘密も、謎も。 永久に――」




2016年1月4日月曜日

今日はルイ・ブライユの誕生日!

本日1月4日は、かのルイ・ブライユの誕生日。
現代日本の小学生の多くが知っていて、ほとんどの大人が知らないといわれる偉人です。
1809年の1月4日、つまり207年前の今日、彼はフランスに生まれました。

ルイ・ブライユは、――点字の発明者なのです。

20日ほど前のことですが、昨年12月中旬に、ポプラ社から彼の伝記マンガ本が発刊されました。

 →コミック版 世界の伝記 『ルイ・ブライユ』 (迎夏生・漫画、金子昭・監修)

パリの東にある村に生まれたブライユは、3歳の時のケガが原因で5歳で両目を失明してしまいます。
やがて盲学校に入った彼は、バルビエという軍人が持ち込んだ12点点字を独自に改良し、アルファベット6点点字を作り上げました。わずか15歳の時のことです。
研究を重ね、のちにに楽譜用の点字や数点字を開発したりしますが、ブライユの作った点字は世界中の国々で使用されるようになりました。ちなみに英語で点字のことをブレイルというのは、彼の名前の英語読みからきています。

ところで、なぜ大人も知らないブライユのことを小学生の多くが知っているのかというと、今の国語の教科書に載っているのだそうです。
それゆえ、なんと「小学生がネットで検索する人名」の堂々第1位!(織田信長をついに抜いて)・・・ と、そんな記事もありましたのでリンクしておきます。
 →【話題】大人は知らない「ルイ・ブライユ」、生い立ちや年表に検索が集まる理由とは
 →東大生も知らない小学生検索ワード1位の「ルイ・ブライユ」って知ってる?


今回のコミック版 世界の伝記 『ルイ・ブライユ』は、おそらく史上初の、ブライユの本格的な伝記マンガと思われます(短いものはありました)
本当によく描かれていて、大人にも感動をくれます。
私は以前から点字やルイ・ブライユに興味がありましたので、読んでいて何度か涙があふれました。(これは新しい名作伝記マンガの誕生だ・・)と思いました。
のみならず、じわじわと日本の点字文化全体を変えていく力を持っている本だと、お世辞抜きにそう思います。
ぜひ多くの方々にお手にとってご覧いただきたいです。




(じつは、この伝記漫画の巻末資料に、私が2010年に撮影してきたブライユの生家の写真をいくつか使っていただきました。私がしたことはそれだけですが、このような素晴らしい本に少しでも関わることができて、・・・心から嬉しく誇らしく感じております!)