2017年4月2日日曜日

ホームページのURLがkasainote.netに変わります

ちょっとしたご連絡です。
ホームページ「河西大地の手植えノートWebsite」のアドレスが、ちょっとだけ変わります。

 kasainote.net

になります。
(これまでは www.kasainote.asia だったので、最後のドメインが変更になるだけです。)
なお、最初にwww.をつけてもOK、http://www.をつけてもOKです。
では、お手数ですが本日4月1日からは新URLにご訪問ください。
(なお、現在のURLは2017年5月23日で終了いたします。)



サーバー:さくらインターネット
ドメイン:お名前.com

2017年1月8日日曜日

本の虫の種類


あけましておめでとうございます。2017年、はりきっていきましょう!
まず、なかなか知られていないと思われる、「本の虫」についての有意味な情報を。
本好きの私が長年知らずにいて、やっと最近のインターネットで他人の受け売りを掻き集めて手に入れた、シンプルかつ合点のいく知識です。

今年は本をたくさん読もう。一年の計は元旦にあり。積んであった本を手に取る。
すると・・・
な、何かいるっ!
本の見返しの真ん中を、小さな白い点としての動く蟲が1匹・・・
柔らかな小さな白点が、黄ばんだ紙面を爆走していく。君の名は。

「ボクの名は、“チャタテムシ”!」
などともちろん言うはずもないが、誰が命名したのか“茶立虫”とは風情あるネーミングじゃのう・・・。
などと茶人のように澄ましたことを言っていると、たちまち本のどこかへ逃げていってしまう。
待て待て待て! 本のページによく出現するので、「本シラミ」とも呼ばれている。
でも、本を閉じたりすればすぐに潰れて死んでしまうのでベランダへ急ぎ、フッと一息で外へ追い出した。正月早々の殺生はしたくない。

これはきっとダニの一種だな。
――そう思っている方がほとんどでしょうが、そうではないのです。
なんと昆虫とのこと。古本のみならず、畳とか障子とか、そういった「和風な」場所が好きらしい。粋な奴だ。しかも障子でシャカシャカ音を立てるそうな。
シロアリに似た形で体長2mm以下。カビやらフケやら、そういう汚いものを食べて生きている。本への害はあまりないという。糞や死骸がアレルゲンになる可能性はあるとのことで、そういう理由でご退去願いたいところではある。

  *

さて、お次の虫は?
私たちが沖縄に引っ越してだいぶ経った頃のある日、家内がキャーキャーと騒いでいた。
「ナニコレ!? きゃーっ、来て!」
どれどれ、そんな小娘みたいなお声で主人を呼ぶなんて可愛いヤツめ、と思いながらおもむろにいってみると、妻は目をまん丸くして棒立ちしていた。そして押入れを指差し、もう一度確認するために恐るおそる奥を覗き込んだ。
「何か変な虫がいるの!」
「どれどれ」
私は落ち着いた表情で押入れに頭を入れたのだが・・・
「わわっ! な、なんだこいつはっ!」
初めて見る奇っ怪な微小動物に仰天した。そしてうろたえた目でおずおずとしながら、
「宇宙からやってきた生物なんじゃないか?」とまで口走った。

銀色にギラギラした5mmほどの体をくねくねさせて、隅っこを走っていく。速い。
鎧(ヨロイ)のような鎧戸のような、まぁダンゴムシ状の構造をしている虫なのだが、極めて小さくて少し長細く、そしてうねうねと~~~~~という動線を描いてひらひらひた走り、けっきょく小さな隙間の中に消えていった。

やがてコイツは頻繁に現れるようになった。
広告紙に誘導して外へ逃がすのだが、手元が狂ってちょっと紙を上に乗せただけでも体液を出して死んでしまうのがやっかいだった。ヨロイが役に立っていないではないか、と私は思う。
だがこの生き物が何なのかまったく見当がつかず、ネットでも調べがつかず、「漫湖水鳥湿性センター」という博物館に出向いた際に昆虫に詳しいお兄さんにも訊いたが、わからなかった。わからないというよりも、そもそもコトバで伝わらないのである。
「それは、昆虫なんですか?」
と博物館のお兄さんに問われた。
「昆虫ではないと思います。何科の生き物なのか、何というか何とも形容しにくいんですけれども、銀色で、うねうね素早く動いて、ヨロイみたいな背中で。いや、雰囲気的にはフナムシがいちばん似ているかな。でも背中はダンゴムシとか、ゲジゲジとか。そんな仲間だとは思うんですけど、とにかく小さくて速いんです。まるで宇宙から来た生物のような、SF的な何かなんです! 私も40年近く生きてきて初めて見ました」

まず私としては、人間に害があるのかないのかが知りたかった。
うちには一応、ヒト科ヒト属の5歳と0歳が2匹生息している。心配だ。
たとえばそれが刺してきたり、噛み付いたり、体内に入り込んだりするのかどうかをまず知りたかった。けれども、その虫が「一体何なのか」さえわからない。やがてその虫が、とくに私の古書の隙間から発見されることが多くなったのだった。
どうしたらいいのだろう?!

そんなある日。
私はいつものようにタブレットで松岡正剛『千夜千冊』ブックガイドブログを読んでいて、ある年末の書庫掃除について書かれた文章に出会った。

 「スタッフ総勢と編集学校の諸君が手伝いで参加して、今年も一斉に埃りを拭いてくれた。紙魚までは落とさない。」(1214夜『司書』)

「紙魚」とは何のことだろう?
調べると「シミ」と読むらしい。
そう。結論からいうと、これこそが私の家の隙間や私の古書の間から出てくる小さな生き物正体だったのである。
紙魚(シミ)――シミ目は、なんと「最も原始的な特徴を持った昆虫」なのだという。そうか、彼らは太古の昔からいる生きた化石としての昆虫だったのか~! だからSF的な容姿だったのか。
たしかに、よぉ~く見ると、触覚や尾っぽが2つ3つ出ている以外は6本足にみえる。小さくて細いから、シルバーの鎧の背中しか認識していなかったが。英語ではSilverFishなのだそうだ。

シミにも色々いて、よく見るのはその非常に小さな種類、まぁ多分「セイヨウシミ」だと思う。沖縄にはキボシアリシミというのがいるらしいが、体長1.3~2mmの微小種とあるがウチのはもうちょっと大きい。体長はだいたい3~6mm。
で、これが何なのかというと、知れば知るほど面白い。

 参考:→ウィキペディア「シミ目」

原始的な昆虫なので、羽が生えたりはせず、一生同じような形なのだそうだ。
まず、ほぼ人間には「無害」とのこと。そして、本の糊(のり)の部分を食べる。書籍の紙の部分は、ほとんど食さない。
私が驚いたのは交配の方法だ。オスは精子を入れた袋をおもむろに置いていくのだそうである。メスはそのプレゼントを見つけて静かに受け取る。――種の数の少ない最古の形をとどめた原始の昆虫は、こんなに上品な子孫の残し方をしているようなのだ。
見た目がグロテスクだから何だというのだろう? 人類よ、愚かなり!

  逃るなり 紙魚の中にも 親よ子よ ―― 小林一茶

              
                  2017年1月、わが家の隅を歩いていた紙魚。

ところで、この紙魚という生き物、わが家に出るセイヨウシミでは6mm以上のを見たことがないが、原理的には死ぬまで脱皮を続けて成長するという。一体どれくらいまで大きくなるのだろう?

 参考:→「シミの種類」

成虫が最大で17mmという記述がある。
が、私の経験談を話せば・・・6cmはあった。
一昨年、東京の古書店からネットでヴィンデルバントによる『一般哲学史』(全4巻)を取寄せたことがあった(井上忻治訳、1941(昭和16年))。大きめの図書で、一冊ずつが箱入りだったが、そのうちの1冊を抜き出した時、フナムシを長くしたような巨大な紙魚が2匹、チョロチョロと出てきたのだった。つがいだった。6cmと4cmほどだったから、それを見たことのなかった私は悲鳴を上げ、すぐにベランダから外に放り出してしまった。
沖縄県の那覇市内にある古書店でも、同じくらいの大きさの同じような紙魚のつがいを見た。その時は、(あ!またコイツらだ)とは思ったが、その動きに驚いて本を手放すと、1匹がそれに少し挟まれたのだろう、体液が周辺の本に付着した。巨大な紙魚は逃げていったが、生き延びたかどうかはわからない。いずれにしても、せっかく夫婦で本の隙間で静かに暮らしていたのにと考えると心が痛んだ。なぜあんなにグロテスクな生き物なのに、かようにか弱い肢体なのか。不可解に思ったものだ。

  *

さて、問題児は次の昆虫で、その名も「死番虫」である!
ウィキペディアによれば、シバンムシは死の番をする虫 "death-watch beetle" に由来する。カチ・カチ・カチ…と音を立てて雌雄で交信を行なうのだが、これが死神の秒読みの時計に聞こえたところからネーミングされたという。すでに恐ろしい。

この昆虫のカタチについて、素人の私のイメージを示したい。
まず、カブトムシのメスやフンコロガシを思い出してほしい。だいたい体長6cmとしよう。
甲虫の中でも、あの少し縦長で丸っこい、特徴のあまりないといえばないノーマルなつまらない形だ。
これを、2.5cmまで縮小してカラフルにすれば、カナブンとかハナムグリの形になる。
さらに0.7cmまで縮小すればハムシの仲間になる。よくタンポポの花びらにくっついている。
それを、さらに縮小して0.3cmにすると、それがこのシバンムシなのだ!

江戸の和綴本をひらくとページにミミズ状の穴がたくさん開いているのをよく見かけるが、その犯行に及んだ真犯人がこのシバンムシなのである。本好きにとっては敵だろう。
ウィキペディアによると、世界で約2,000種、日本から62種が記録されている。カミキリムシに似た形の仲間もいる。

思い出してみれば小学生だった頃、教室の木製タイルの床の隙間に、黒くて極微細な甲虫を見かけたことがあった。女子が「ペペちゃん」という名前をつけていたのが私には印象的だった。これがシバンムシだったのだ。
畳にごく小さな円い点の穴がポツリと開いていることがあるだろう。あれも、こいつの仕業だそうだ。
このように家屋や書籍を食害するのは、シバンムシの幼虫である。白いイモムシ状の幼虫らしいが、私は本の中に住んでいるそういう生き物を実際に見たことはない。

図書館では年に一度、「蔵書点検」といって2週間だの1カ月だの平気で休むことがある。これはいわば棚卸し作業をしているわけだけれど、昔は「曝本期間」と言ったそうだ(12年前に図書館でアルバイトをしていた時に聞いた)。年に一度、日や風に本を曝(さら)して虫干しするのだった。何の虫を追い払うのかといえば、この図書本体をアリの巣状に喰らうシバンムシであろう。糊を食べるシミも追い出すにこしたことはない。

 *

「本の虫」といえば書物周辺に生息する生き物(見てきたように、チャタテムシ・シミ・シバンムシなど)をさすばあいと、それに引っ掛けるようにして、愛書家読書家の類をさすばあいとがある。
後者についえ言えば、私のように「充血が・・・」とか「ドライアイで体調まで・・・」とか常々嘆いている中途半端な人間には荷が重いので、それは今回は語らないでおこう。事実として、世の中にはとんでもなく多量の本を読む方が、けっこうおられる。

ただひとつだけ根本的な問題をいわせてもらえば、それは「読書好き」が良いのか悪いのか、ということだ。
世の中を良くしたい、良い人生を歩みたい、と思ったら、やはり先人や専門家の知識を糧にして思考を重ねることだろう。
となれば、やはり本に勝る媒体はない。図書館にも本屋にも通って、これはというものをどんどん読むし、自然とその人の書棚も大きくなっていく。
ところが。
読書家がそうでない人々と比べて“魅力的な人間”になっていくかどうかといえば、諸兄も同意見かと思うが、全然そんなことはない。
無学な人が暖かな心の持ち主だったりすることは多々ある。金持ち連中が全然本を読まなかったりする。
そしてむしろ読書家に多いのは、偏屈な意地悪爺さん、高慢チキな学者、高圧的な説教婆さん、他人無視の冷淡な文学少女、集中弾丸トークのマニアック青年、情報出し渋りの優等受験生などで、挙げ連ねればイイ奴なんかむしろ少ない気がしてくるくらいだ。

また、本を執筆する人の多くは読書家だろうけれど、作家や哲学者がこれまたDVしたり、生活無能者だったり、精神疾患ひいては自殺が少なくないことも、(ホント、なんのための知識だよーっ!)と叫びたくなる。
そして、16世紀ヨーロッパに登場した、怪しい放浪の魔術師であったネッテスハイムのアグリッパという人がこういったのを思い出してしまう。

 「無学な者は昇り、天上に運ばれるが、われわれは、われわれの学知とともに地獄に沈むだろう」

以前ブログに書いたが、デカルトも本を離れて現実世界を読めとか、尊徳二宮金次郎も書籍を尊ばず天地を経文とせよ、などと言っている。なお、2人ともとんでもない読書家だったから、どう解釈すればよいのか考えねばならないが、とにかく彼らは洋の東西こそ違え、まったく同じことを言っていた。

本は、――本というのは、諸刃の刃なのだ。
凡人の私もわかっているつもりだ。本や情報に人生全部を喰われないようにしなくてはならない。
それはたとえば、商売金儲けに人生を捧げたり、仕事人間で生涯を終えたり、パチンコに人生を費やしたり、ゲームに青春を捧げたりと同じことで・・・
「え? 仕事人間はいいんじゃないの? 金儲けも、悪くないんじゃないの?」

・・・本当にそう?

ま、まあ、生活無能者の私がどうこう述べる資格もないわけですので、・・とにかく「本の虫」、の話題でした。(汗)
今年もよろしく!





2016年12月28日水曜日

さよならレイア姫

昨日(2016年12月27日)『スター・ウォーズ』のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーが心臓の病気で亡くなったというニュースがあった。60歳とは早い。ショックである。
今年は、R2-D2の中に入って演じていたケニー・ベイカーも亡くなった。1977年最初作の『スター・ウォーズ』出演陣がどんどん亡くなるのは寂しい。

ついこの間の12月16日、元上司ら3名と一緒に『ローグ・ワン(スター・ウォーズ・ストーリー)』を観てきた。初日だが沖縄の映画館はけっこう空いているので真ん中後方の良い席で観られた。
この同じメンバーで昨年12月にも『スター・ウォーズ フォースの覚醒』を公開3日目に観た。
だからこのメンバーになると、必ず『スター・ウォーズ』論評が飛び交う。一致した意見は、やはり昔のエピソード4と5とが秀逸だということ。

問題となる不一致の意見は、ヒロインの評価である。他のみんなは「スター・ウォーズのヒロインは総じて魅力がない。辛うじてアミダラ女王はゆるせる」ということだが、私は「レイア姫もいいし、レイちゃんも、ジンちゃんもよかった」と好評価をもっている。「けっきょく、誰でもいいんでしょ?」と言われるオチになるわけだが、私はアミダラ議員があまり好みでない。
まぁ、いずれにせよ好みの問題である。
案外人気のないレイア姫だが、私にとって、彼女の雰囲気が『スター・ウォーズ』の大切な要素になっている。あのデス・スター設計図のデータをかがみ腰でR2-D2に仕込む時の、謎めいた幻想的な印象。ダーズ・ベイダーを前にムキになって強気発言をするツルツルお肌の表情。ジャバ・ザ・ハットに鎖で繋がれ・・・(おっと、もうやめておこう)。

2015年の『スター・ウォーズ フォースの覚醒』には、すでに皺くちゃのお爺さんお婆さんになってしまったハンソロとレイア(ハリソン・フォードとキャリー・フィッシャー)が頻繁に登場し、観客を沸かせると同時に失望させてくれた。
が、最新作のスピンオフ映画『ローグ・ワン』には、1977年のキャスト数名が当時そのままの顔立ちで登場する。若いレイア姫もラストに出てくる。CG処理(3Dレンダリングというデジタル技術)で人の表情まで再現できるようになったことを見せつけられた。これ見よがしだったが、まんまと驚いたし楽しめた。

なお、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は映画館で2度観たが、自分にとっても特大のインパクトを伴った娯楽だったのに、観終わるとスーッと面白さが減少するような印象が否めなかった。尻すぼみであり、詰めが甘すぎて、星はでかくてもストーリーが小さいと思った。突っ込みどころ満載なのだった。
今度の『ローグ・ワン』は、話自体はそもそも小規模なのだが、表現が細やかでリアリティある悲劇が再来し、とてもよかった。よかったのではあったが、インパクトは小さく、見終えて数時間もすると印象にあまり残っていなかった(同監督の『GODDILA』もそうだったから不思議である)。そういえば、今年めちゃくちゃ話題になったアニメ『君の名は。』も観ているときの幸福感に比べ、鑑賞後の印象は消えていくのが早かった。

それに比べると、1977年の『スター・ウォーズ』やその次の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』は、観てから30年近く経ってなおも胸に沁みついているのだから凄い。いや、数か月前に子供と観たら、たしかに(案外子供じみている映画なんだな)とは感じた。私も大人になったのだ。10歳の頃「金曜ロードショー」のビデオ録画でみた当時は、映画の範疇を超えるほど強烈なイメージに打たれたものだった。これぞ、幸福な映画体験というべきものであった。



この年末年始は、家内と子供たちだけ実家に帰省しているので、私は静かにじぶんのすべきことを進めたり、ひもじくも悠悠自適に暮らしている。そんな私が寂しくしていると気遣って、元上司2人(53歳と26歳)がマクドナルドで色々買い込んでうちにやってきたのは一昨日のことだった。
じつはその前の日つまりクリスマスにも、その元上司のお宅のクリスマス会に呼ばれて夜中1時過ぎまでワイワイしていたのである。「連日じゃないですか」と私も嬉しさまぎれに呆れた。

で、その日最後のTV出演となるSMAPの話題は1度も出たりせず、いろんな話をかわしたなかに凝りもせず『スター・ウォーズ』の話題がけっこうあった。われわれはSW新作にああだこうだ文句を言いつつも、それぞれの家にスター・ウォーズのグッズは着実に増えているのだから困ったものである。2つ3つといったレベルではない。

私はEP盤の『スター・ウォーズ』のレコードを掛けた。いつか骨董市で1枚300円で買ってきたものだ。曲は「スター・ウォーズのテーマ」「酒場のバンド」「ダース・ベイダーのマーチ」「ヨーダのテーマ」のみ。私は「酒場のバンド」が一番好きだ。よく口ずさむ。ルークとオビワンがモス・アイズリー宇宙港近くで入り、ハンソロとチューバッカが初登場した、ならず者ばかりが集まる酒場“カンティーナ”で演奏されていたBGMだ。愛嬌ある名曲だと思う。
音質に非常にこだわりある年上元上司は、「盤が曲がってる」「盤に水拭きした跡がある」「直に手で針を落とせないの?」「スピーカーが酷すぎだ」「モーターの動きが不均等だ」「そういう所に(盤を)置くなよ」とうるさく注意する。
年下元上司は、長男のBB-8ラジコンで遊びながら分解し、バラしたまま内部車輪の動きをチェックして面白がったりしていた。

さて、元上司2人が注目したのは、私が使っている「スター・ウォーズ」デザインコラボのCampus大学ノート。5冊組で、地味だがペン画などがかっこいい。
「いくらしたの?」
「家内から貰った物だから分かりませんけど、普通のノートの値段かと思いますけど」
「結構凝ってるから、版権高いはずだよ」
「そうでしょうか?」 私は普通に雑記・日記ノートとして使用している。

「ああ、そういえばレイア、飛行機の中で倒れたよねえ」と年上元上司。
「ヤフーニュースでみました。大丈夫ですかね」
「どうだろうなあ。しかしやっぱりハリソン・フォードと付き合ってたんだな」
「暴露本を出したって記事、読みましたよ。でも前から公表はしてたみたいですよ」
「そーなの? ハリソン・フォードもころころ相手変えるからなぁ」
ゴシップ記事をコピペしたようなこんな会話もたしかにあった。2日後にレイア姫が亡くなってしまうなんて、やはり我々は思っていなかったのである。

だって、2017年の『スター・ウォーズ(エピソード8)』は、レイアがいなければ困るではないか(→ある記事によると、どうやら次回作の撮影は完了しているとのことだった)。
ああ、3Dレンダリングでどうにでもなるのか? いやいやいや。

・・・寂しいかぎりだ。



2016年12月15日木曜日

2016年末雑感メモ

年末が差し迫り、顔を合わせたり電話で話す知人友人とも「もう今年もあと少しだね」などといいあって、焦りを共感する季節になった。早い。タイム・フライズだ。

この頃の生活スタイルのせいであろう、めっきり友人と電話をかわさなくなっていたので、先日まとめて電話をかけたら誰も出なかった。家庭あり仕事ありでみな忙しいのだ。
時間差で掛けなおして来てくれたので話したが、聞くと多くの人が2016年末は何らかのトラブルや不運に見舞われていて、慌ただしくも気の毒である。

じぶんは割と問題はないなぁ、と思っていたものの、考えてみれば色々あった。特に、乗用車のエンジンオイルの調子が悪いのは気になる。先日交換しようとカーショップに行くと、なんと空っぽだった。オイルを注いでもらって、急いで修理会社に出向いたら、もしかするとかなり高額の修理になるかもしれないという。しばらく様子見だが、これが運転中に不都合を自覚しないのだからもやもやする。

それから、数日前には1歳になった二男の長風邪をもらって、完全ダウンした。
朝から晩まで、トイレと布団の往復しかほとんどしないでずっと寝ていた。葛根湯とノンカフェインのリポビタンDとミカンが一日の主食だった。頭痛、38.2℃の発熱、めまい。無意味な長い夢を延々と見て過ごしていた。
二男も風邪なので、食べては咳き込んで吐く、ということを1日で11回も繰り返し、いつもなら後始末や洗濯などを妻と連携プレーで済ませるところを、私は他人事と放って寝ていた。その慌ただしい事態が、はるか遠くに聞こえていた。食べさせれば吐く、というアルゴリズムが判明しているのに、なぜ妻は同じ愚行を絶え間なく繰り返しているのだろうか、とまぶたの裏でぼんやり不思議に思った。妻はあまりの手間と労力に、最後には発狂するかのように1歳児を怒鳴っていたが、まぁ、それくらいはにんげんだもの、である。

今は徐々に回復し、家族の生活ペースも概ね回復した。
子らは健やかである。長男は場の空気を読めないほど元気だ。
二男は咳をしながらも元気で、妻が寝かしつけてもいつまでも眠らず、夜11時頃には何度となく私の部屋へハイハイして来てしまう。その時は私は高校時代の友人と久々に長電話をしており、あまり相手をしてやらなかった。すると、やがて泣きわめく。
ケータイ片手に、長男を寝かしつけている妻のところに二男を連れて行っても、またハイハイして私の部屋まで来てしまう。その繰り返し、繰り返し、である。可愛いが面倒だ。
家内も憔悴しているので、私もやっと電話を切った。添い寝してやると、二男もすぐに眠った。長男はマザコンであるが、二男は両親ともいないとダメなタイプなのはわかっている。

日々、ちまたでは色々なニュースが流れているけれど、やはり良いニュースは少ない。
特にこの2日間のニュースでは、沖縄でもオスプレイが落ちたり壊れたりしているのに、アメリカ軍も日本政府も度を越した横柄さを露呈しながら開き直るという態度をくりかえしている。司法までも飼いならして辺野古の埋め立てを進めたり、無茶苦茶だ。
いったいこの国はどうなっているのかと、開いた口が塞がらないというか、塞ぎ込んでしまうというか・・・それでも安倍首相の支持率はけっこう高いままなのは、私の政治理解を超えている。ペンパイナッポーアッポーペンの面白みは理解できてきても、沖縄を取り巻く日本とアメリカの対応は理解しかねる。「大衆」云々という話ではないのである。

私の一案では、まずは新聞各社が、あのドローンタイプのヒコーキの名称を「オチプレイ」と全面変更するところから始めたらいいのかもしれない。統計学的には一般の米軍飛行機より落下しないので安全というが、こんなに頻繁に落ちている。奇妙な統計、落ちるべき設計、支配者の奸計というしかない。

まぁまぁの年だった2016年ももうすぐ終わる。
一年の計は元旦にあり。来年は良い年にしよう!

みなさま、2017年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


2016年11月9日水曜日

トランプ大統領の誕生

今日は朝から鼻風邪をこじらせて、ドリンク剤を飲み、パンプキンスープとミカンを食べて休んでいた。
目覚めると布団のなかでタブレットで読書をしていたが、もうすぐ1歳になる子どもがハイハイしてタブレットを奪いに来る。好きにさせるとスワイプを真似てさすが現代っ子らしい。・・などと感心もしたが、こちらは読書の途中なので、やがて奪い返す。すると絶望的な表情で大泣きした。

妻が息子たちを連れて買い物へ出かけ、私はパソコンの席に移る。
途中から、今日のアメリカ大統領選挙の開票が気になりだし、ネット速報で地図と棒グラフが、青と赤とに塗られていく様子をチェックしていた。ヒラリー・クリントンの青い民主党VSドナルド・トランプの赤い共和党。

接戦がずっと続いた。が、トランプのバーが先に過半数に近づいてきたので、私も布団に戻って、テレビ(NHK)をつけた。


日本時間午後2:35分。――大統領選の模様を中継するニュースの途中で速報が入り、AP通信がトランプ氏の勝利を伝えた。

今日は日本のみならず世界中の金融市場が乱れている。5ヶ月前のイギリスEU離脱を巡る選挙のときと同じだ。そしてついに、世間の予測と真逆の結果になる、というところまで同じになった。

私は苦笑した。
この選挙結果には、苦笑するしかない。

西側の大半の国々は動揺しているだろうが、日本政府もわたわたしているに違いない。何せ日本という国家は、政体としては敗戦この方ブレることなくアメリカ帝国の子犬だ。

先月の国連総会での「核兵器禁止条約の交渉開始に関する決議」では、なんと日本が、数少ない核兵器保有国に混じって「反対派」にまわったことがニュースになった。
世界唯一の被爆国が、核兵器の存在に賛成票を投じたのである。
私だって呆れ返ったが、一生懸命アメリカに尾尻を振る、見事なまでにぶざまな小国ニッポンは世界の注目を浴びた。「世界の軍事バランスが・・」などという言い回しは白々しくて、聞いているだけでも恥ずかしくなる。

そしてこれまで日本政府は、せっかくアメリカの言うとおりTPPも強引に推し進めてきたのに、当のアメリカの政策が変わってしまう。
TPPにトランプは反対なのだ。
また、せっかくアメリカ軍事力の傘下にいるのに、トランプは安保のためにもっと日本に金を出せというスタンスを発表しているのだ。
安倍総理はすぐさまトランプ氏に媚を売るメッセージを送った。そんな安倍さんへの国民支持率は過半数超えで高い。

けっきょく日米とも、金回りのことを豪語しまくる人間をこそ支持するということになっている。日米とも、過半数の一般市民の内面は「乞食化」しているのだ。

かくゆう私も、名前からしておふざけ路線のドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利したという速報を目にして、ひとり苦笑した。
オモシロイと思った。
これからどんな世界情勢が展開していくのか、見当がつかない面白さ。
優等生ではなく、アホな人間が逆転勝ちして天辺を獲った面白さ。
アメリカ政府そのものがギャグになる面白さ。

いや実際には、つまらないことになるかもしれない。
ブッシュJr.のときがそうだったが、あれも半分ブラックジョーク的だった。世界中で戦争は激化の一途を辿ったのである。

共産圏(中国・ロシア)はトランプ勝利を本心では歓迎していると記者たちがニュースで話していた。
世界情勢はこれからどうなっていくのだろう?


私は自分の手回りのことをしていこう。
読まねばならないものがたくさんあるし、研究すべきこと、書くべきことがたくさんある。まずは自分の風邪を治さねば。
小市民には小市民のやるべきことがある。あたり前のことだが政治がすべてではない。



2016年10月16日日曜日

松岡正剛『千夜千冊』の誤字脱字批判


(名編集者・松岡正剛氏のことは、これまでブログに2度とりあげた。
 →・読書メモ(20160615)『国家と「私」の行方』(松岡正剛、春秋社、2015)
 →・デカルトの重箱blog 松岡正剛『国家と「私」の行方』、そして『千夜千冊』 )

私は今、松岡正剛氏の孤高かつ怒涛のブックガイドブログ『千夜千冊』の全読破を試みているが、このペースでいくと単純計算で5年以上かかりそうだ。
つまり私は、まだまだ序の口の段階にいる。

それなのに、すでにかなりの誤字脱字が散見される。
枝葉末節のことであろうか?
・・・だが氏は、なんといっても日本一の名編集者なのである。
不特定多数の読者に読まれている公式ブログの誤謬を直そうとしないというのは、一体どういう見解なのだろう? 正剛氏のような立場であれば、いくらだって生徒や弟子や従業員にチェック・訂正の仕事を回せると思うのだが・・

出版物なら、印刷後に誤記の訂正がある場合には、小さな訂正記事の紙が挟んであることもある。作り手・著者としては、満を持して世に問うたはずの本に僅かでも間違いがあれば、1秒でも早く直したいという気持ちになるのが自然だと思う。誤謬の訂正は礼節であり、プライドであり、そして良心である。

しかし、たとえば松岡正剛氏の『国家と「私」の行方』は2015年に出版された良書だが、2巻本に4箇所の誤記をみつけた。訂正記事について言及はない。ウェブサイトをみても何もない。
・『国家と「私」の行方』 春秋社ページ

さて、今年の3月に「ISIS(編集工学研究所)担当者様」宛に、「千夜千冊の誤植などについて」と題したメールを送った。
半年以上経つが、返事もなければ訂正もなされない。連絡がつかないということは、・・何なのだろう? ほとんど読者のいないブログの書き手である私だって、誤字脱字に気がつくと恥ずかしくて、すぐにでも直したくなるのに。

この『千夜千冊』ブログは、すでに分厚い豪華本としても出版されている。もしかすると出版の際に直されているかもしれないが(それについては私はチェックしていない)、今度なんと角川文庫にも入るというのだから心配になる。
それで、ここに私が個人的にメモした「『千夜千冊』訂正箇所」を以下に挙げておくことにする。

重ねて言うが・・・こういうことは、松岡正剛氏ご本人あるいは関連会社または出版社が率先してなすべきことのはずだ。
そして出版物と違って、ウェブ上のとくにブログは、その気があれば一瞬で直せる媒体なのである。

===========================
〈『千夜千冊』ブログ訂正箇所Memo/2016.10.16 時点=68読了/全1621夜〉
===========================

・番外録INDEX
「東日本大震災から5日後の2012年3月16日、」→2011年3月16日

・9夜
「アリストレス」→アリストテレス 2箇所

・18夜
下線足らず「インシュタイン著」→アインシュタイン著

・17夜
下線足らず「倉百人一首のような」→小倉百人一首のような

・16夜
「つなぎあわせてていく」→つなぎあわせていく

・125夜
「”ぼく”」→“ぼく”

・168夜
「解決しょうと」→解決しようと

・888夜
「します二人は」→します。二人は

・982夜
「イギリ人」→イギリス人
「左欄」→右欄

・994夜
「ととして」→として

・995夜
「recollectin」→recollection
「することころ」→するところ
「メンデレーフ」→メンデレーエフ

・1005夜
「アウストラピテクス」→アウストラロピテクス

・1095夜
「フルートを持つ」→フルートを持つ女 3箇所

・1187夜
「ケインノほうで」→ケインのほうで

・1251夜
「イノシシにはタタリ神という凶暴な神が憑いている。」→「憑いている」のではなくイノシシ自体がタタリ神に「なった」と思われる。
「アシタカは万事が納得できずにタタラ場にとどまることを決意する。」→アシタカは「納得できずに」ではなく、「状況を受け入れて」人間と森との架け橋となった、と説明するのが彼の表情からしても妥当であろう。同様に、サンは「人間を許すことはできない」と言ったけれど、人間であるアシタカを「受け入れた」という顛末だ。

・1262夜
「9割知覚」→9割近く

・1314夜
「ブラウンジング」→ブラウジング
「トマス・アクイナス」→トマス・アクィナス
「めぐっている。。」→めぐっている。
「Aからら」→Aから
「それわ体に」→それを体に
「言葉がゆきわたらせる」→言葉をゆきわたらせる

・1336夜
「スタフグレーション」→スタグフレーション

・1361夜
「正当化をもたらすのてはないかという」→もたらすのではないかという

・1362夜
「思えてくるだろうとということ」→だろうということ
「インドではヴィトリア朝に」→ヴィクトリア朝に

・1367夜
「返済すなくとも」→返済しなくとも

・1368夜
「算出」→産出 2箇所
「通過」→通貨
「国王ヒピン」→国王ピピン

・1399夜
「アリストレス」→アリストテレス

・1409夜
原発批判を含む文脈のなかに鷲田清一氏を取り上げてあるが、残念ながら、鷲田氏は反原発の立場を取っていない。

・1422夜
「歴史をつくてきた」→歴史をつくってきた

・1447夜
「食卓の上で0・38マイクロシーベルトを」「1マイクロシーベルトをいつも超えていた」→分母に時間単位がある方が断然ベター

・1456夜
「クリーン・エルギー」→クリーン・エネルギー
「大腸菌をつかってDNA組み替えて」→大腸菌をつかったDNA組み換えで

・1601夜
「多変量解析は多くの変数からなるデータを統計的な扱って」→統計的に扱って
「しかし、結局はこんなことしかかできないのである。」→しかできないのである

・1604夜
「ポビュリズム」→ポピュリズム
「ますまず」→ますます

・1605夜
「植物ガ」→植物が
「編集工学編集工学研究所が」→編集工学研究所が

・1606夜
「デヴィッド・マー『ヴィジョン』」→『ビジョン』

・1619夜
「細胞膜(cell membrsne)」→cell membrane
「転写(trnascription)」→transcription
「RNAスプライシシング」→RNAスプライシング


===========================

※〈2016.10.17 追記〉

 なお、「千夜千冊」567夜に、『誤植読本』(高橋輝次、東京書籍、2000)が取り上げられてある。
 この稿に正剛氏は、こんなふうに書いている。
 
 ・「中国では「魯魚、焉馬、虚虎の誤り」という。魯と魚、焉と馬、虚と虎は書きまちがいやすいということだ。また中国で「善本」といえば、良書のことではなく誤植のないエディション(版)のことをいう。それほど誤植は恐れられてきた。」
 ・「ぼくも編集者のはしくれとして、つねに校正と誤植には悩まされてきた。実は校正はあまり得意ではない。」
 ・「その後ワープロやパソコンで文章を打つようになると、今度は自分で最初から打ちまちがえたままになっている。」
 ・「この「千夜千冊」もワープロ打っ放しでスタッフにまわしてしまうときは、つねに3~4字がまちがっている(ところが10字まちがうとか、1字しかまちがわないということは、めったにない)。」
 ・「それにしても、誤植の入った自分の文章に出会うと必ずサアーッと冷や汗が出る。これはまことに奇妙な感覚で、なんとも居たたまれない。羞かしいやら、無知を晒しているようやら、もう弁解も手遅れで情けないやら、奇妙な後悔に立たされる。」
 ・「しかし、あらためて冷静に考えてみると、なぜ誤植が居たたまれない感覚に満ちたものなのか、その理由ははっきりしない。むろん歴然たるミスであるのだからどこから咎められても当然ではあるけれど、その責任はいわば著者・編集者・校正者・版元に分散しているのだし、(中略)この事実に気がついたとたんに“みっともない気分”になるというのは、この犯行感覚にはなかなか見逃せない異常なものがあるということなのである。」

 ・・・このように、正剛氏もやはり誤字脱字は頗るイヤなのだと分かって、多少ほっとした。
 しかし、ではなぜ速やかに直さないのだろうかという疑問はいっそう膨らむ。

===========================

※〈2016.12.22~ 追記〉
とにもかくにも私は『千夜千冊』全読破に向け、サイトをほぼ毎日みている。
11月18日のコメントに、「肺癌でした」とあって衝撃だった。また最近の『千夜千冊』に、肺癌で2010年に死去した作家・井上ひさしとの思い出を綴った箇所があって、次のように書いている。

「ぼくと同様のヘビースモーカーで、あちらは1日40本、ぼくは60本を維持し、誇りにしていた。(中略)互いに喫煙は肺癌とはカンケーないとえらそうに豪語していたが、そうはいかなかった。」

喫煙経験のない私は、タバコを吸う人に対し一抹の軽蔑視を禁じ得ないのだが、正剛氏のような「超」知識人がタバコ→肺癌などという愚鈍な経路をとると、(なんのための知識だ!)と憤りをも感じてくる。
『千夜千冊』は読めば読むほど物凄いブックガイドである。それを書き続ける正剛氏はやはり物凄い人間であろう。そういう人は日本のため、というか人類のために、絶対に長生きするべきなのである。

コメントには12月14日に手術を受け20日に退院した報告があり、痛みと鬱々なる心境を告白なさっていた。21日には事務所に十日ぶりに戻って郵便物をみるなどのルーチンをこなし、はや「千夜千冊に着手した」と書いてあった。私は少し感動した。
心から退院おめでとうございます、と申し述べたいが、私はただの一般人かつあかの他人なので胸に留めておくのみにする。

それにしても、読んでも読んでも果てしなく感じる『千夜千冊』に、相変わらず誤字は次々と発見される。数限りないので私もすでにメモするのはやめているが、(これは酷いな)というのを3つだけ挙げておく。
正剛氏は術後なのだ。お弟子さんたちが気を利かせて直してあげるべきだと思うのだが・・


・1600夜
『設文解字』→『説文解字』

・1603夜
「フランスの言語哲学者フェルディナン・ド・ソシュールは」
→スイスの言語哲学者フェルディナン・ド・ソシュールは。(フランス人移住者の家系だがスイス人。なお「シニフィアン」「シニフィエ」はフランス語。)

・0550夜
「・・・(臨済は)大愚和尚の師事を受けた。」
→に師事した。(「師事する」で「教示・教えを受けること」であり、「師事を受ける」とは言わない。)

2016年10月8日土曜日

耳鼻科の力

私の家系は鼻が弱い。
そんなことは誰も言わないが、見渡してみれば明らかにそうなのだ。
そして自分もそうである。
小学5年の頃から花粉症で耳鼻科通いだったし、大学の時には鼻中隔湾曲症で鼻がつまりやすく、そもそも常日頃から鼻腔が荒れている人生なのである。そのためか、年に何度も風邪を引き込むし、逆に、たまたまマスクを常々装着している時期には、あまり風邪をひかなかったりする。

今年の夏の初めは、風邪を何度もひいていた。
立て続けに2、3回軽めの風邪をひいた。つまり50日間くらいずーっと風邪っぴきだったのだ。
それで、その風邪が治ったら・・・
鼻声が定着してしまっていた。

周囲の人間は、もう慣れて、私の声がこういうくぐもった声だと思いこんでいる。
しかし、久しぶりに会ったり電話で話したりする友人は、「また風邪?」と訊いてくれる。

「いやぁ、これこれしかじかで、森本レオみたいな声になっちゃったよ・・・」
「・・・ぜんぜん似てないけど」
というやり取りを、何度交わしただろうか。

この2ヶ月ほどは、左耳の奥にガサゴソと異音が聞こえるようになった。
いつもではない。隔日くらいで鳴る。
中耳炎に似ている。しかし、耳が痛いとか耳垂れがあるとかいうことはない。
鼻声のほうも、喉が痛いとか頭が痛いとか鼻水が出るとか、ぜんぜんそういうことはない。
つまり、実害ゼロ。ただ不快なだけの状態がずっと続いているのだった。

  *

そうはいっても・・・不快だ。
気になる。
それで今日の午前中、町の耳鼻科へいってきた。

この耳鼻科はいつも混んでいるが、今日はさほどでなかった。
ふだんはお爺ちゃん先生が、大量の患者を、まるで時計の針のように淡々と診療して治療して、数多くの看護師さんを使ってエンドレスにさばいていく。
余計な口はきかない。時には必要最低限の説明もしない。気難しそうな静かなお爺さん先生だ。
が、患者の話を無視したりはしないし、措置が的確なので、名医だと思う。
――薬を大量に出すという性格をのぞいては。

だが面白いことに、そのすぐ下にある小さな薬局にいる若手の薬剤師が、これまたまるで名医のようなのである。
上の耳鼻科でお爺さん先生が処方した大量の薬やステロイド剤などを、下の名“薬剤師”が一通り症状を聞いて、再判断してくれる。

「この薬の量は多すぎると思うので、こちらと、こちらだけにしておきましょうね」
「ステロイド剤は、気になるでしょうから、今回はやめておいてもよいでしょう」
「この薬は弱いので、これくらいなら大丈夫です」
「ジェネリックにしておきました(勝手に)」

小難しい処方箋でも懇切丁寧に、ある種情熱的に解説してくれる。
私どもは、その若き薬剤師を非常に信頼するに至った。あるときは感動さえ覚えて、妻とこんな話をしながら帰った。

「ああいう仕事人が、世の中をよくしていくんだよ。彼はただの町の薬剤師じゃないね。患者さんだけでなく、日本社会の医療そのものを治そうとしているんだ」

  *

他方、耳鼻科にも変化が訪れていた。
待合室の椅子の配置が変わっただけではなかった。
お爺ちゃんである院長先生の、イケメンの息子さんが診療の多くを引き継いだのだ。
世代交代は、そのすぐ近所の眼科でもタイミングを同じくしている。
面白いことに、2世はだいたい目を輝かせたイケメンで、やもすればナルシシズムも匂わせているのだが、彼らは現代医療の最先端技術を現場に持ち込むと同時に、「人対人」のやりとりを約束する挨拶のメッセージなどをウェブサイトや待合室のお知らせに展示する。

私はこういうのをみると、・・・つい信頼し、期待してしまう。
そして、ちゃんと正確な診療をしてくれると、また嬉しくなる。
――世の中は、やはり進化しているのだ!
と。医者ってスゴいな、素晴らしいな、と思う。

今日の耳鼻科の2世先生は、私と同年代だった。
さくさくと診療・治療をしてくれた。

そして、驚くべき展開が待っていた。
左耳の検査を、圧をかけたりして調べたあとだった。
部屋の端に置かれた細い施術ベッドに寝かされ、左耳を細かに先生は見てから、ピンセットを差し込んだ。
「たぶん、これが原因ですね」
直後に「お土産です」と、ティッシュに包まれて渡されたのは、なんと3cmほどの自分の髪の毛だったのだ。
私は驚きを隠せなかった。
外耳道の鼓膜のそばに、髪の毛がぐるぐる巻きで詰まるなどという珍事は、38年生きてきて初めてだった。
これがガサゴソ鼓膜に当たりながら、2ヶ月間もそこにあったのである。
毎日の綿棒は、取り払うどころか押し込める作用をしていたのだ。

帰ってそのお土産を見せながら話すと、妻も驚いて悲鳴をあげながら、
「きもちわるーい!」
と言った。
「俺本人が、いちばん気持ち悪かったよ」
「それはそうでしょうね。でも、虫とかもっと変なものが出てこなくてよかったじゃない」
「あのなあ。これ以上キモキャラにしないでくれ」

診察は初診だったこともあり3千円弱かかった。
処方箋は飲み薬14日分と点鼻薬1本。ジェネリック(後発)はなかったので、2千円以上かかった。
計約5千円の出費。
病院通いはカネがかかる。健康がいちばんだ。無駄金を使った。

ほんのちょっとだけ思ったのは、・・・耳に圧をかける特殊器具で調べる前の、診察台での簡単な診察の時点で、すでに詰まった髪の毛は見えていたんじゃないかな? ということだ。
鼓膜は入口から3cmという、簡単に見える場所に位置しているらしい。
まぁ、先生は、
(髪の毛が原因だな。でも何か他の原因があると困るから、念のため調べとこう)
と思ったかのかもしれないし、
(髪の毛が原因だけど、色々検査して、お金を稼ごう)
と思ったかもしれない。素人患者にそこのところは分からない。

けれど、医療というのはいずれにしても、やはりありがたいと思う。
残りの不快感も治るならば、むしろ安いとさえ思う。
健康が一番だ。